記事の先にある、みえないけれど存在するつながり 

ネモフィラ

先日書いた記事をお友達のまねきさんにブログで紹介していただきました。

ふと立ち止まるといろいろなことが見えてきます。

ただ正直なところ、新しいことを始めるにはやはり時間的に厳しい・・とも思います。

どれもが中途半端になりそうで・・。

そこでいろいろ考えた結果、今やっていることをさらにもう一歩進めていこう!と思うようになりました。

 フルタイムで働き(私より休みが少ない)、家族を支えているまねきさん。
すぐには解決できない問題を抱えながらもいつも前向きで、「私も頑張ろう!」って思う原動力をもらっています。そんなまねきさんの一歩は、すでにやっていることをさらにきわめていくこと。
自分の中にあるものを磨いていく。とっても素敵な一歩だと思います。
その一歩が今後きっと大きな一歩となるはず。
お互いに今年が終わるころにはキラキラが増しているはず!!

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つながる喜び 分かり合える喜び

とんぼ玉

まねきさんが紹介してくれた私の記事は、ayanさんの記事がきっかけで心の中にあるものを外にだしたものでした。

 それぞれの思いはまったく同じというわけではなく、別々のものだけど、どこか心に響くものがあり、それがそれぞれの想いや考えを触発してつながっていく。
つながる喜び、共感できる喜び。
それを感じてなんだかとっても元気がでてきました。

学生のころは自分自身の悩みとか、先のことへの不安とか、友達同士で語り合うことも多くありました。
でも大人になるとそういう機会って減るというか、ほぼないんですよね。
生活や家族、仕事など環境も悩みも違うし、ゆっくり語り合う機会もないし。
なによりいい大人になって若者のような青臭い悩みを語るのはこっぱづかしい。

そんな口に出していうにはちょっと恥ずかしいこともブログだと書けちゃうから不思議。
そうして外に出した想いは、自分の中の気持ちを整理してくれて、自分でも気づいてなかった本当の気持ちに気づいたりもします。

そうした「自己完結」の記事の先に、その記事を読んでくれる人がいて、どこか心に留まることがあり、その人の気持ちを動かしていく。すごいですよね。
それは、やろうと思ってもできることではなくて、記事を書いたタイミングとか、読んだタイミングとか偶然が重なって起きること。

このブログは日記のようなもので、これといった特徴もなくだらだら続けているのだけれど、書いた記事の先に何かの変化があるのだとしたら、それはとてもうれしい。
誰かの役にたてる可能性がある。
そう思うとブログっていいもんですね。

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