「嫌われる勇気」を読んだ感想 自分の人生を生きれば割と楽

嫌われる勇気

読もうかどうしようか迷っていた「嫌われる勇気」を読みました。
アドラー心理学の本は他のものをすでに読んだから、もういいかなぁと思ったんだけど、話題の本なんでやはり読んでおくことに。

会話式で進むので読みやすかったです。
心理学は自分に重ね合わせて、感情や考えを移入しがちなので合うあわないがあると思うんだけど、私は「嫌われる勇気」で書かれていることは、すっと入ってきました。

自分がアドラー心理学と同じような考えや行動をとっている部分が多くあってびっくり。
でも、そうすることで親といることの苦痛が和らいでいるので、人間関係で行き詰っている人は読むと楽になるかもしれません。

今回は、私の母との関係や、アドラー心理学的な考えと近い部分をさらりと。
毒親的な話でやや重いので、興味のある方だけお付き合いください。


嫌われる勇気–自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク

心理学的にいうと母は承認要求の強い人

私は物心ついたころには母が苦手でした。
幼いころは「苦手」というレベルだったけど、小学生になるころには理解できない、関わりあいたくない相手になっていました。

アドラー心理学を読んでかんじたのは母は承認要求がとても強い人だということ。
自分がよい母親である、と認められるためには、私が「よい子」である必要がある。
そのために私の行動を管理し自分の思い通りにしようとすることが多々ありました。

自分がいい母、いい人であることをアピールし、他人から賞賛されるにはどうしたらいいか。
これが母にとって価値のあることのようで、今でも、人からの評価をものすごく気にしています。

割と早い段階に分かり合える希望を捨てた

そんな母とエピソードは、書き始めると1年以上連載できるくらいあるのでとても書ききれませんが、私は小学校低学年で母とは分かり合えないと悟っていました。
かなり早熟ですね。

絵の宿題で(絵日記だったか図工だったか忘れたけど)、書き上げて机に置いておいたものを学校に持っていくために手に取ったら、絵に加筆されていました。
書き込んだのは母です。

「なんで?」と泣きながら問いかける私に平然と「この方がよく見えるから直してあげたのに何なのよ」と。

ありえない行為&ありえない答え。
こういうことが度重なり、母には何をいっても無駄、私の気持ちなどわかることはない、と思うようになっていました。

母に認められたいという承認要求も消滅

子どもは親から認められたい、ほめられたいという承認要求を持っています。
私にもありました。

なので、分かり合える希望を捨てはしたものの、やはり母から嫌われたくないという気持ちはあり、母の顔色を窺いながら生活をしていました。

でも、それの承認要求さえも小学生のときに消滅。

承認要求を捨てたきっかけは何だったかはっきり覚えていないけど、母とバトルを繰り返す中で「もうこの人はいいや・・・」と思ったんですよね。

「あなたのためにやってやってるのに何でわかってくれないの」
何で揉めても最終的な母の結論はこれです(現在進行形)。

母のやっていることは私のためになっておらず、むしろ私は嫌がっているのだけど、まったく理解されず、議論はいつも平行線。

一方で、学校の中は母から離れた空間なので、自分のしたいことをしたいようにできました。
その中で先生や友達が自分のことを認めてくれる場面がでてくるようになったんです。

母と切り離れた世界で認められたことで、家で母から理不尽なことを要求されても断れるようになりました。母に好かれたいという気持ちが極限まで薄れ、断って嫌われるなら別にそれでいいと思えるようになったんです。

たぶんこれって「嫌われる勇気」ですよね。
他人(母)の望む行動ではなく、自分の望む行動を大事にする。
たとえそれでより隔たりができたとしてもかまわない。
幸か不幸か10代前半でこの境地にたどりついていました。

自分を解放すると楽になる

自分の考えで自分の人生を生きる。
アドラー心理学でもこうした教えがでてきますが、たしかにこれができると楽。

もちろん、人は人とのかかわりの中で生きているので、人に合わせないといけないときもあるし、自分だけの考えで突っ走れないときもあります。

でも誰かに強要されてそれをするのではなく、自らが選んでそれをするという選択をしたのであれば、それは「自分の好きに生きている」ということなんだと思います。

私は母と関わりあう中で、どうしても分かり合えない人はいるということ、ありのままの自分を嫌う人に好きになってもらおうとしなくても生きていける、ということを学びました。

誰かに好かれるために自分を取り繕わない。
素の自分を解放する。

これができるようになって、母を意向を気にせず生きられるようになり、精神的にすごく楽になりました。

長女の私は経済力のない母の扶養義務があります。(民法上の扶養義務)
仕送りなどをするよりも同居の方が経済的負担が少ないため、同居しているので今もトラブルはあります。

でも、母が何を言ってきてもたいていは受け流せるし、自分の意志優先で生活しています。
母の生活には口をださないし、こっちの生活には口も手も出させない。
仲がいいとは言えないけれど、こんな親子関係もあってもいいんじゃないかと割り切っているので、マイナスな部分にとらわれず、明るい気持ちで生活できています。

アドラー心理学が万能とは思わないし、すべてが正しいとも思わないけど、私の実体験と重なる部分も多く、人間関係を楽にするヒントはたくさんあると思います。
人とのかかわりの中で、息苦しくて窒息しそうになっていたら目をとおしてみるのもおすすめです。

>>嫌われる勇気–自己啓発の源流「アドラー」の教え

コメント

タイトルとURLをコピーしました