藍玉さんがブログで紹介していた本に心を惹かれて、図書館で借りて読みました。
旅の本のイメージだったんだけど、読むときの心のありかたで受け取りかたが変わるような、そんな、自分自身を映し出す鏡のような本でした。
読むきっかけを作ってくれた藍玉さんに感謝!
藍玉さんの記事→星野道夫さんの『旅をする木』をつらかった頃の自分に読ませてあげたい
アラスカで暮らす日々が書かれたエッセイのような本。
星野さんが感じたことを、詩的で美しい、それでいてわかりやすい、心に響く言葉で綴られています。
アラスカの厳しい自然の中で生きる人と動物と自然と、そういう区切りさえもとりはらったかのような、まっすぐなまなざしで見つめた先にある想いの数々が語られる文章。
読み始めてあっという間にひきこまれてしまいました。
いくつか心に残った部分を引用して紹介しますね。
何もないこの世界では、食べて、寝て、出来る限り暖かく自分のいのちを保ってゆくことが一番大切なのだ。わずか一週間でさえ、本当に単純なことに立ち止まってみるのもきっと良いことだ。
~略~
ルース氷河は、岩、氷、雪、星だけの、無機質な高山の世界である。あらゆる情報の海の中で暮らす日本の子どもにたちにとって、それは全く逆の世界。しかし、何もないかわりに、そこにはシーンとした宇宙の気配があった。氷河の上で過ごす夜の静けさ、風の冷たさ、星野輝き・・・・情報が少ないということはある力を秘めている。それは人間に何かを想像する機会を与えてくれるからだ。
ルース氷河より。
結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
頬を撫でる極北の風の感触、夏のツンドラの甘い匂い、白夜の淡い光、見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい・・・・ふと立ち止まり、少し気持ちを込めて、五感の記憶の中にそんな風景を残してゆきたい。何も生み出すことのない、ただ流れてゆく時を、大切にしたい。あわただしい、人間の日々の営みと並行してもうひとつの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。
ワスレナグザより。
静けさと厳しさの中で、自分の中から外へ心を開放して、想像を膨らませ、思いを紡いでゆく。
そうして立ち止まった中で得たものを、静かに自分の中で成熟させていく。
そういう時間って必要ですね。
今の私はあわただしい日々の営みと、目の前のことに追われて、考えることも想像することも忘れて、日々を過ごしているというより日々に追われているかんじ。
フリーランスから会社勤めへ変わることを決めて、そのことは今の我が家に必要なことで自分の判断が正しいと思っているけれど、迷いがないといえば嘘になります。
でも、「旅をする木」を読んで心が軽くなりました。
大切なのはまず生きること。
今の私が一番に優先すべきなのは、母親として子ども達を一人前になるまで育て、巣立たせること。
家族を優先して自分自身のことを置き去りにするのは後悔しそうな気がしてたんですけど、やるべきことをやらずに過ごしてしまえば、それもまた後悔することになるんですよね。
そして、本に登場する人たちは、様々な過去を糧に今を精いっぱい生きていて、とても魅力的です。
少しの回り道や予定変更で焦る必要はない、そんな風にふっきれました。
「旅をする木」は、また少しして読み返すと、今とは違う受け取り方ができそうな気がします。
図書館で借りたんだけど、手元においておきたくなりました。
星野道夫さんは他にも多くの著書をのこしておられるので、他の本も読んでみたいと思います。
追記
ayanさんも同じ本を同じきっかけで読んで感想をブログに掲載されています。
→星野道夫さんの「旅をする木」を読んで、世界の広さ、自分の小ささを知る
同じ本なのに、それぞれ違う感想があり、でも違うようで同じような、「あぁ、そう、そういう気持ちもわかる」と共感できる部分もあり、なんだか嬉しいです。
レーズンアイスさんも同じ本を読んでブログに感想を掲載されています。
→『旅をする木』を読みました。
コメント